動物磁気の系譜まとめ

対象関係からみる動物磁気の系譜まとめ。

フランツ=アントン・メスメル(1736-1815)

 ウィーン大学医学部の医師であったメスメルはその教義や治療法の突飛さによってオーストリアから追放され、1778年にパリに転地した。彼は普遍的流体(un fluide universel)の理論を構築し、病気は人間の体内における流体の不均衡に由来すると考えた。メスメルは磁気術によって「分利」(crise、要するに発作)を誘発し、流体を調和させることで病人を治療できると考えていた。この治療法は鉱物磁気を人間に適用したものであるために動物磁気(magnétisme animal)と名付けられ、その発明家の名にちなんでメスメリズムとも呼ばれる。メスメルは「交流」(rapport)という概念を用いており、ここに対象関係論の源流を見出すことができる。しかし、まだ心理学が花開く以前の電気や磁気が花盛りであった時代に頭角を現したメスメルにとって、治療者と患者の交流をもたらす作用因はただ磁気流体(fluide magnétique)のみに求められ、情動的要素はほとんど考慮に入れられなかった*1。メスメルは治療者と患者の関係を一方的な支配関係に置き、また患者に「言語的対話」(dialogue verbal)を禁じ、分利のような「身体的対話」(dialogue somatique)のみを許すことによって、ともすれば性愛に発展しやすく、そうした非難にさらされていた治療関係において患者との個人的な関わり合いを避けていたようにも思われる。

 

バイイの報告(1784)——動物磁気への批判——

 メスメルの理論は当初から科学者の間で疑いをもたれていた。メスメルに関する論議が喧しくなった頃、ルイ16世は動物磁気の研究のために二つの委員会を設置した。一つは王立医学協会(Société Royale Médecine)(のちの医学アカデミー)である。この節で扱うのはもう一つの科学アカデミー(Académie des Sciences)のメンバーから発足した委員会である。メンバーには、バイイ、ベンジャミン・フランクリン、ラヴォワジェなどがおり、当時の科学界の権威が集結している。両委員会は動物磁気に関する報告書を提出したが、どちらの報告書でも動物磁気は非難され、あらゆる流体の存在も否定されている。バイイは磁気術の効果を「想像」(imagination)によるものと考えた。ここには対象関係の心的作用の実在が勘づかれているが、彼はそれを科学の対象として積極的に取り扱うことはなかった。バイイは公的な報告書に加えて、国王に極秘報告書を提出している。そこで注目されるのは、磁気治療に性愛的な効果をみとり、磁気治療を風紀を乱すものと結論づけている点である。この極秘報告書によらずとも知識人たちの間ではメスメルの動物磁気に伏在する「性的な危険性」を疑われていた。したがって磁気術師たちが治療のファクターのうち情動を低く見積もりもっぱら磁気という物理学的なファクターに執拗なまでに依拠していたのも、こうした道徳的非難に対する抵抗の表れと見ることもできるかもしれない。バイイに代表される道徳的非難はそれに対する抵抗という形で磁気術師たちの主張を運命づけるものであった。

 

ピュイゼギュール(1751-1825)

 メスメルの高弟ピュイゼギュールは、患者の行動は完全に停止するのに治療者との対話能力が残る「磁気夢遊病」(somnambulism magnétique)を最初に記述した人物である。彼はしたがってメスメルとは異なり患者との対話を排除せず、治療は患者を完全に従順な退行状態に置くことが目指された。彼も流体論者であることには変わりないが、磁気のみならず第二の要因として情動的要素をもすでに考慮に入れていた。また彼は分利によって次第に患者の夢遊状態は減衰していき、最後には病気とともに消失し、それ以後は磁化への感受性も消え去ると考えていた。要するに、患者に磁気催眠が効かなくなることは治療の成功であり、そこで患者の治療者に対する依存は解消される。精神分析の用語で言えば、「転移」(Übertragung)とその解消にあたるものをピュイゼギュールは捉えていたと言えそうである。

 

ドゥルーズ(1753-1835)

 シュルトーク、ド・ソシュールによれば、ドゥルーズは流体論者の磁気術師たちのなかで最も優れている著作を著した(NP:31)。ピュイゼギュールの弟子ドゥルーズは先に触れたバイイの主張に代表されるような道徳的非難を強く意識していた人物である。ドゥルーズは治療関係における情動的な「交流」をはっきりみとめていたが、それは性愛の感情とは全く異なるものであると主張した。彼によると、治療で生じるのは「穏やかな愛着」(tendre attachement)でありそれは治療の終結とともに解消される。彼は治療の開始に「交流」が必要であることを論じているが、やはり磁化(催眠)において感情は物理的次元に対して副次的なものとみている。

 

シャルル・ド・ヴィレール(1765-1815)とジュリアン=ジョセフ・ヴィレー(1775-1846)

 次に動物磁気における物理的次元と情動的次元の上下関係を転覆させた二人の人物について。

 メスメル-ピュイゼギュール-ドゥルーズの正統派が、情動的なファクターによる対象関係の考え方を退けた、あるいは気づいていながらも物理学的なファクターに対して副次的なものだとみなしていたのはすでに論じたとおりである。ここで時代を遡り別の文脈に注目してみると、ド・ヴィレールが治療において対象関係を真に扱うことの必要性を説いていることが確認できる。

 ド・ヴィレールには『愛の磁気術』(1787)と題する小説がある(当時まだ21歳!)。この書は対象関係を治癒のファクターとして扱った最初の書物である。彼は流体にいかなる役割も与えず、磁気術の物理的次元における効力を認めなかった。ド・ヴィレールにとって、治癒とは治してもらいたいという患者の治癒への情念(passion)と治そうとする治療者の情念という二つの情念の出会いによって生じるものである。彼は物理的次元よりも、対象関係における情動的作用の効果を重視しており、すでに治療者と患者の相互的関係に気がついていたのである。このド・ヴィレールをもって——時代に先んじるが——磁気術から暗示(suggestion)への移行が準備される。

 医師ヴィレーは1818年の医学辞典第24巻の「磁気医学の公正な検討」という項目を著した。動物磁気の効力に相互的なもの(réciproque)の作用があること明記しているので、孫引きの形にはなるが引用したい。

動物磁気の名で表されているものは、個人と個人の間に時として生じる一種の相互的な影響(une influence réciproque)のことで、これは意志や想像によるものであれ身体的感受性によるものであれ、交流の調和に従う相互的影響である(NP:39-40)。

ド・ヴィレールとヴィレーは精神分析において「転移-逆転移」と呼ばれるような、治療者と患者における相互的な情動作用の存在(対象関係)を認めていたのである。

 

ファリア(1755-1819)とベルトラン(1795-1831

 最後に、のちにナンシー学派が発展させる暗示の理論の創始者とみなされる二人の人物について。

 ポルトガル人の司祭ファリアは1813年にパリで流体論に対して革命的な態度を取るようになった。治療者に特別な力はなく、すべては患者の精神のなかで起こると主張した。技術の改革としては、催眠のために患者の視線を一つに固定させる方法、言語的暗示(「眠りなさい」「目覚めなさい」)を与える方法を用いた。

 理工学校出身の医者ベルトランはもともと流体学派に属していたがのちに反対し、ファリアと近い考え方を提出する。彼は夢遊状態の諸現象は磁気術師の想像力ではなく、患者の想像力に求められると考えていた。夢遊状態において患者が治療者の話しか聞こえない選択的関係も、赤ん坊を世話する母親が睡眠しながらも赤ん坊の声にだけは反応する事態と等しいとして、ベルトランは睡眠と催眠を類似したものだと考えている。

 

 以上が動物磁気の系譜である。動物磁気は電気や磁気が隆盛する時代において発見された対象関係による治療法を科学的な理論として提出するものとして出現し、当初その作用因である情動的な影響は、動物磁気が性愛の要素を含んでいるとの非難に対して磁気術師たちは抵抗を図っていたために、無意識に抑圧されていた。ところが次第に治療効果における情動的因子の役割があらわになっていき、むしろ磁気そのものは交流のための手段にすぎないことが理解され、暗示や催眠の時代に移行していくのである。以後、動物磁気の語は、ジェイムズ・ブレイドによる「催眠術」(hypnotisme)の導入とともに棄却されることとなる。

L. シュルトーク、R. ド・ソシュール精神分析学の誕生』(岩波書店、1987年)をもとに作成。

*1:L. シュルトーク、R. ド・ソシュール精神分析学の誕生』(以下、本文中の括弧内にNPと略記し、邦訳の頁数を記す)によると、メスメルによる感情についての記述は一箇所だけ存在し、その後その考え方は発展しなかったという。しかし、そこでは、メスメルは動物磁気は最初は感情を介して伝わると主張しているのは興味深い(NP:11)。